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出会い系アプリとセックス依存症
1000人斬り続出のネット社会
ネットの出会い系アプリがない時代、テレクラやダイヤルQ2などが出会いの受け皿となってセックスをしたい男女を結びつけていた。
不満の溜まった主婦たちが金銭目的でなく、純粋にエッチを求めてテレクラや伝言ダイヤルなどには多数出没していた。
普段は普通の主婦、外で知らない男とセックスした後も屈託なく笑って、これからスーパー行って子供たちの夕ご飯の準備、そんな光景は珍しくなかった。
そして今も変わらずに既婚者たちの外でのセックスは続いている。
その数や割合、誰か統計をとっている人はいるんだろうか。
ラブホテルの経営状況を見てる感じではネット社会になったからといって急激に不倫や浮気、セックスの全体的回数は増えているようにも見えない。
この生物学的バランスはなんなのだろうか。
景気動向と連動するわけでもなく、不倫には絶好のツールが世に出回っていても爆発することはない性的衝動、不思議だ。
いわゆるセックス依存症といわれる人の意外なところは、性的な行為そのものというよりは、その行為からくる精神的な満たされ感の方が優先されている傾向にあるというところではないだろうか。
性的に結ばれることで一人ではない確証を得て、それが射精のトリガーになっている人や、自分が必要とされていることを認識することでそれがオーガズムにつながっていく女性など、コミュニケーションのゴールにセックスが最高の形で待っていることを味わってしまった人たち、そんな印象を受けたりする。
人が好き、人と話すのが好き、新しい価値観に出会って感動するような感覚で次から次にセックスを求めていく人たちは、コミュニケーションの達人でもあるのだと思う。
男の場合は征服欲のかたまりでそれこそ斬る感覚の人も多いかもしれないが、女性の場合は精神的な部分での快楽(肉体的に例えばクリトリスを刺激された時の快楽ではなく)を求めて出会い系アプリにハマる人も多いのではないだろうか。
人数をこなしていくうちに知らない人でないと快楽のスイッチが入らない、そんな人もセックス依存症には多いようだ。
だから続いたとして2,3回、それ以上のつきあいでは感じることができない、知らない人とキスすることで入るスイッチが回を重ねて知人になってしまった瞬間に入らなくなる、だからセフレとしても長く続かない、そんなパターンもあるようだ。
体を売り続ける商売の女性も基本的には自分の存在を認めてほしい欲求が根底にはあるようだ。
生きるための手段として、お金をもらうことも重要だが、自分が必要とされる喜びがなかったら続かないのではないだろうか。
かわいいと褒められる、体を褒められる、単純な嬉しさかもしれないが、複雑な嬉しさなんてあるのだろうか。
褒められたい欲求はSNSでのイイねにある承認欲求と同じ、人間がつねに必要としているものなのかもしれない。
体のエネルギー源は食べることで得られますが、心のエネルギー源はなかなか得にくいのが現実で、それが出会い系にはちょこちょこ落ちている、これが男女ともにハマっていく原因ではないかと思う。
とにかく褒める、これが出会い系で会った相手を落とす一番の攻略法である。
容姿を褒める、持ち物を褒める、ファッションセンスを褒める、趣味を褒めるなど、相手が苦笑いするぐらいに褒めてみてもこれは効果的。
褒められて、口先だけとわかっていてもイヤな気持ちにならないのが人間の不思議なところで、この褒めちぎり作戦をしつこく続けていると相手の心がぽきっと自分の方向に折れてくれる瞬間を感じることができると思う。
いまいち自分の趣味ではないかもしれないという相手でも、褒め続けることでもしかしたらほんとにこの子かわいいかもと自己暗示にかける効果もあるので出会い系の相手と最速で寝るにはこの方法がベスト。
この子は抱けないかも、と思った心の小さな声は相手も敏感に感じ取っているはず。
相手が自分を無理だと思っているならこっちだって無理、お互いに人間の見えないセンサーはかなりの高精度なわけだ。
自己暗示でもいいからこの子はかわいいと念じ続け、それを続けることで相手の心をこちらにすり寄ってくる、和解の握手みたいするキスだけでも、あっ、イケると自分の股間が反応していることに驚くと思う。
1000人斬りのような伝説のヤリマンと言われる人もポチャポチャの不細工だったりする。
しかしその心の広さというか、ある種の教祖的な万人への愛の境地のような所に立っている人がいたりするわけで、それは男でもハゲ頭の冴えないルックスのサラリーマンで自分の財布を緩めることなく何百人と女をはべらす達人がいたり、やはり答えは「愛」そういうことなのだろうか。
もはや芸術の域。
ASKAさんが言っていた。
ある程度長く歌をやっていると自分に限らずみんな気づいていくと、すべては結局「愛」なんだと、それを恥ずかし気もなく歌えるようになったと。
「愛」を実践するためのツールとして最強のアプリがある時代に生まれて我々は幸せなのかもしれない。
変な美人局に会った時も、「愛」でいどめばもしかするとトラブルもなく回避できるのかもしれない。
「愛」の境地に立つための修行としての出会い系、そんな見方もありではないだろうか。
セックス依存症のSNSでの投稿にはゲイやレズビアンの人達の投稿が多いことが気になる。
ゲイの人達が集うハッテン場とよばれるところは見ず知らずの大人が集まり、会話もなくただ性行為にふける場所。
男女の場合にも風俗という形で性処理場は存在するが、ゲイの人達のセックスに直結する思考回路は男女のそれと少し違う気がする。
新宿二丁目でも、目があってなんとなく互いにタイプであることが確認できたら、お茶をするわけではなく即尺即ハメも珍しくない。
クッションが一つ抜けている感じ。
ディープな世界もツイッターで誰でも垣間見れる時代。
普通の男女の場合、男側の一方通行に女性がつきあってあげているイメージが強いが、ゲイレズビアンの場合は相互的に求めてあっている感じがして羨ましい。
若干話はそれるが、メンタリストでも有名なロミオ・ロドリゲス氏の話が興味深かったのでご紹介。
この方は悪魔祓い、いわゆるエクソシストもされているようですが、性同一性障害の人達に普通の悪魔祓い同様のことをするとその悩んでいた性の不一致が吹っ飛んで 正常にもどるとのこと。
セックスに溺れるなどという表現もあって、性にはネガティブなイメージがついてまわりますが、もしかするとセックス依存症は悪魔の仕業かもしれない。
ガクト様もセックス依存症?
正月になるといまだに芸能人格付けチェックに出演し、年始のお約束のようになっているガクトさんですが、このガクトさんですらセックス依存症疑惑が立ったことがあります。
2017年の東スポの記事によれば、2007年のNHK大河ドラマ出演時に撮影の終わった楽屋で当時つきあっていた女性とことに及んでいたと書いてあります。
声を出さずに気をつけてはいたようですが、息遣いや物音で周囲にはバレバレだったようです。
ガクトさんはキャバクラに出没しては、気に入った子にいきなりキス攻撃で落とすという荒業で何人も愛人を抱えていたとか。
そのうちの一人の女性は後にガクトさんのマネージメントをする会社の社長の方と関係を持つようになり、その関係が破綻すると自殺未遂を二回繰り返したと記事には書かれています。
身内で肉体関係が入り乱れるザ・芸能界的なお話ですが、ガクトさんとも関係を持っていたとはいえ、直接的に彼がこの自殺騒動に関わっていたわけではないので、巻き込むんじゃないとかなりのお怒りだった様子です。
ガクトさんクラスになるとオナホール感覚でとっかえひっかえ女性とセックスする感覚なのでしょうか。
一般的なセックス依存症とは少し違う気もしますが、ガクトさんがオナニーをする姿はあまり想像できません。
世界は俺のもの的な漫画の古代の王様のような姿しか浮かんでこないのは私だけでしょうか。
どうせ依存になるなら彼ぐらい振り切ってみたいものです。